⑰ 不登校から回復した家庭に共通すること(実践編)

はじめに

なかなか相談しにくいとされる不登校・・・回復するにはどんなことを・・・気になるところです。

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どうすればいいんか・・・?

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難しいですなあ・・・。

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他の人ってどうしてるん?

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ちょっと見てみようか。

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目次

はじめに

「先生、この子は本当にこのままで大丈夫なんでしょうか。」

不登校が長くなると、保護者は何度もこの不安に襲われます。

学校へ行かない。

朝起きられない。

勉強もしない。

友達とも会わない。

ゲームや動画を見ながら、一日のほとんどを家で過ごしている。

そんな子どもの姿を毎日見ていると、

「何かしなければ。」

という焦りが生まれます。

ところが、子どもを動かそうとすればするほど、親子関係が悪くなる。

学校の話をすれば部屋へ戻る。

勉強の話をすれば怒る。

生活リズムについて注意すれば、

「分かってるよ。」

と言われる。

保護者は次第に、

「何を言っても逆効果になるのではないか。」

と思うようになります。

今回登場するのは、中学二年生の息子が不登校になって半年ほどたったお母さんです。

不登校になったばかりの頃、お母さんは息子を何とか学校へ戻そうとしていました。

しかし、なかなか状況は変わりませんでした。

そんな家庭が少しずつ変わり始めたきっかけは、特別な方法ではありません。

「子どもを動かす」ことより、「家庭の中で安心できる状態をつくる」ことを大切にするようになったことでした。

「半年たっても、学校へ行けません」

🔴 保護者

「先生、もう半年になります。」

🔵 講師

「不登校になってからですか。」

🔴 保護者

「はい。」

「最初は、こんなに長くなると思っていませんでした。」

「一週間くらい休めば戻れると思っていました。」

🔵 講師

「その頃は、どんな対応をしていましたか。」

🔴 保護者

「毎朝起こしていました。」

「『今日はどうする?』って。」

「制服も出していました。」

「朝ご飯も学校へ行く時間に合わせて用意していました。」

🔵 講師

「お子さんは?」

🔴 保護者

「布団から出ませんでした。」

「それでも私は、

『一時間目は無理でも、二時間目からなら行けるよ。』

『保健室だけでもいいよ。』

って。」

「何とか学校につなげようとしていました。」

「行けそうな日」を見つけるたびに期待した

🔴 保護者

「たまに早く起きる日があったんです。」

🔵 講師

「はい。」

🔴 保護者

「そうすると私は、

『今日は行けるかもしれない。』

って思ってしまうんです。」

「それで、

『今日ちょっと学校行ってみる?』

って聞く。」

🔵 講師

「お子さんはどうしていましたか。」

🔴 保護者

「最初は、

『分かんない。』

と言っていました。」

「でも私が、

『行くだけ行ってみようよ。』

『無理だったら帰ってくればいいから。』

って続けると……。」

「最後には、

『行かないって言ってるだろ!』

って怒るんです。」

🔵 講師

「お母さんとしては、せっかくの機会を逃したくなかったんですね。」

🔴 保護者

「そうなんです。」

「今日を逃したら、また一週間行けないかもしれない。」

「そう思っていました。」

一つできると「次」を求めてしまう

ある日のことでした。

息子が午前九時半に起きてきました。

普段は十一時頃まで寝ていることが多かったため、お母さんは驚きました。

🔴 保護者

「今日は早いね。」

「たまたま。」

🔴 保護者

「体調いい?」

「普通。」

息子は朝食を食べました。

そして、しばらくリビングにいました。

お母さんは思いました。

「今日は調子がいい。」

「もしかしたら……。」

そして、言いました。

🔴 保護者

「今日、学校の近くまで行ってみる?」

息子の表情が変わりました。

「何で?」

🔴 保護者

「いや、今日は早く起きられたし。」

「だから何?」

🔴 保護者

「学校へ入らなくてもいいよ。」

「車で近くまで行くだけでも……。」

「やめて。」

息子は立ち上がりました。

🔴 保護者

「ごめん。無理ならいいよ。」

「だったら最初から言わないでよ。」

息子は部屋へ戻りました。

「早く起きた」だけでよかった

後日、お母さんは講師にその出来事を話しました。

🔴 保護者

「また失敗しました。」

🔵 講師

「失敗と決めなくてもいいと思いますよ。」

🔴 保護者

「でも、せっかく九時半に起きたのに、そのあと部屋から出なくなりました。」

🔵 講師

「お母さん。」

「もしあの日、

『今日は早く起きたね。』

だけで終わっていたらどうだったでしょう。」

お母さんは黙りました。

🔴 保護者

「……それでよかったんでしょうか。」

🔵 講師

「よかったと思います。」

🔴 保護者

「でも、早く起きられたなら、その次に何かした方が……。」

🔵 講師

「そこなんです。」

「私たち大人は、一つできるとすぐ次を考えます。」

「早く起きた。」

「じゃあ外へ出よう。」

「外へ出た。」

「じゃあ学校へ行こう。」

「勉強できた。」

「じゃあ毎日やろう。」

🔴 保護者

「……私、全部やっています。」

🔵 講師

「心配だからですよね。」

「でも子どもからすると、

『何か一つできると、次の課題を出される。』

と感じることがあります。」

「できたこと」がプレッシャーになる

🔴 保護者

「そういえば……。」

🔵 講師

「何か思い当たりますか。」

🔴 保護者

「前に一度、学校のプリントをやったことがあったんです。」

「数学を三問くらい。」

🔵 講師

「はい。」

🔴 保護者

「私、すごくうれしくて。」

「次の日に、

『昨日できたんだから、今日も少しやったら?』

って言いました。」

🔵 講師

「お子さんは?」

🔴 保護者

「『今日はやらない。』って。」

「それで私、

『昨日はできたでしょう。』

って言ってしまいました。」

🔵 講師

「そのあと、どうなりましたか。」

🔴 保護者

「しばらくプリントを触らなくなりました。」

お母さんは、しばらく考えていました。

🔴 保護者

「私、できたことを褒めているつもりでした。」

🔵 講師

「でも、

『昨日できたのだから今日もできるはず』

になると、少し意味が変わりますよね。」

🔴 保護者

「できたことが、次の日のノルマになっていたんですね。」

「何もしない」のではなく「待てるところは待つ」

🔴 保護者

「でも先生、そうすると私は何をすればいいんでしょう。」

「何も言わずに待つだけですか。」

🔵 講師

「全部を放っておく必要はありません。」

「必要なことは一緒に考えます。」

「ただ、

『今すぐ動かなくてもいいこと』

まで急いで動かさないことです。」

🔴 保護者

「例えば?」

🔵 講師

「朝早く起きたら、それだけでいい。」

「久しぶりに外へ出たら、それだけでいい。」

「五分勉強したら、それだけでいい。」

「子ども自身が次へ行こうとした時に、必要なら手伝う。」

🔴 保護者

「先回りしない。」

🔵 講師

「そうですね。」

学校の話をしない夕食

その日の夕食。

お母さんは、あることを意識しました。

学校の話を自分からしない。

息子がリビングへ来ました。

テレビではバラエティー番組が流れていました。

🔴 保護者

「これ、最近よく出てる人だね。」

「そうなの?」

🔴 保護者

「お母さんもよく知らないけど。」

「知らないんじゃん。」

二人で少し笑いました。

そのまま夕食を食べました。

学校の話は一度もしませんでした。

勉強の話もしませんでした。

生活リズムの話もしませんでした。

食事が終わる頃、息子が言いました。

「明日さ。」

お母さんは一瞬、緊張しました。

「学校の話?」

と思いました。

でも、黙って続きを待ちました。

「昼、ラーメン食べたい。」

🔴 保護者

「いいよ。」

それだけでした。

「普通の会話」が戻ってくる

それから、お母さんは意識的に不登校とは関係のない会話を増やしました。

🔴 保護者

「今日、スーパーで新しいアイス見つけたよ。」

「何味?」

🔴 保護者

「チョコ。」

「買った?」

🔴 保護者

「あるよ。」

「食べる。」

別の日には、

「このゲーム、新しいの出るらしい。」

🔴 保護者

「そうなんだ。」

「前のやつより面白そう。」

🔴 保護者

「どこが違うの?」

息子が説明します。

お母さんにはよく分かりません。

それでも聞きました。

以前の会話は、

「学校どうする?」

「宿題は?」

「何時に寝るの?」

が中心でした。

少しずつ、親と子としての普通の会話が戻ってきました。

「不登校の子」として見過ぎていた

数週間後。

🔴 保護者

「先生、最近気づいたことがあります。」

🔵 講師

「何でしょう。」

🔴 保護者

「私、息子を見るたびに、

『不登校の子』

として見ていたんだと思います。」

🔵 講師

「どういうことですか。」

🔴 保護者

「息子がゲームしていたら、

『不登校なのにゲームばかり。』

って思う。」

「昼まで寝ていたら、

『不登校だから生活が崩れている。』

って思う。」

「少し勉強したら、

『不登校なんだから今のうちに遅れを取り戻さないと。』

って。」

「全部、不登校と結びつけていました。」

🔵 講師

「今は?」

🔴 保護者

「ただ息子として見る時間が増えた気がします。」

家の中で笑う回数が増えてきた

変化は突然ではありませんでした。

学校にはまだ行っていません。

朝起きられない日もあります。

一日中ゲームをしている日もあります。

それでも、以前とは少し違いました。

家族と一緒に夕食を食べる日が増えました。

リビングにいる時間が増えました。

父親とゲームの話をするようになりました。

お母さんに、

「これ見て。」

と動画を見せることもあります。

ある日。

息子がテレビを見ながら大笑いしていました。

お母さんは、その姿を見てふと思いました。

「この子がこんなふうに笑うの、久しぶりかもしれない。」

学校にはまだ行っていません。

でも、何も変わっていないわけではありませんでした。

「学校へ行っていない=回復していない」ではない

🔴 保護者

「先生、息子、最近よく笑うようになったんです。」

🔵 講師

「それは大きな変化ですね。」

🔴 保護者

「でも学校には行っていません。」

🔵 講師

「学校へ行っていなければ、変化とは言えませんか。」

🔴 保護者

「以前の私なら、そう思っていました。」

「学校へ戻ったら回復。」

「戻れなかったら、まだダメ。」

「そんなふうに。」

🔵 講師

「今は違いますか。」

🔴 保護者

「少し違います。」

「学校へ行っていなくても、半年前とは全然違うんです。」

「話すようになった。」

「笑うようになった。」

「一緒にご飯を食べるようになった。」

「外にもたまに出る。」

「それも変化なんですよね。」

🔵 講師

「そうですね。」

「むしろ、そうした変化の積み重ねの中から、次の動きが出てくることがあります。」

久しぶりに一人で外へ出た日

ある日の午後。

息子が玄関で靴を履いていました。

🔴 保護者

「出かけるの?」

「コンビニ。」

🔴 保護者

「一人で?」

「うん。」

お母さんは一瞬、

「それなら少し散歩してきたら?」

と言いそうになりました。

さらに、

「学校の近くまで行ってみる?」

という考えまで頭をよぎりました。

でも言いませんでした。

🔴 保護者

「気をつけてね。」

「うん。」

息子は出ていきました。

二十分ほどして戻ってきました。

「暑かった。」

🔴 保護者

「今日は暑いね。」

それだけです。

「次」を言わなかったことで残ったもの

その夜。

息子が言いました。

「明日もコンビニ行こうかな。」

🔴 保護者

「そう。」

「新しい飲み物出てた。」

🔴 保護者

「今日買わなかったの?」

「迷った。」

お母さんは笑いました。

もし昨日、

「せっかく外へ出られたんだから、もっと歩いたら?」

「明日は学校の近くまで行ってみたら?」

と言っていたらどうなっていただろう。

おそらく息子にとって、「外へ出る」という行動そのものが課題になっていたかもしれません。

でも今回は違いました。

外へ出ることは、ただコンビニへ行くことでした。

それでよかったのです。

親が少し離れると、子どもから話すことがある

数日後。

夕食を食べていた時でした。

息子が突然言いました。

「○○、まだ学校行ってるかな。」

中学校の友達の名前でした。

お母さんは驚きました。

学校について、息子から話すことはほとんどありませんでした。

以前なら、

「気になるなら連絡してみたら?」

「学校へ行けば会えるよ。」

と言っていたかもしれません。

しかし今回は、

🔴 保護者

「どうだろうね。」

とだけ答えました。

「前、同じクラスだったじゃん。」

🔴 保護者

「うん。」

「結構話してたんだよ。」

🔴 保護者

「そうだったね。」

息子は少し黙りました。

そして、

「LINEしてみようかな。」

と言いました。

🔴 保護者

「したくなったら、してみたら。」

お母さんはそれ以上言いませんでした。

その夜。

息子は久しぶりに、その友達へメッセージを送りました。

親以外とのつながりが一つ戻った

翌日。

「返事来た。」

🔴 保護者

「よかったね。」

「普通だった。」

🔴 保護者

「普通?」

「『久しぶり』って。」

息子はスマートフォンを見ながら少し笑っていました。

その後、二人はしばらくメッセージをやり取りしていました。

学校へ行ったわけではありません。

教室へ戻ったわけでもありません。

でも、切れていた人とのつながりが一つ戻りました。

お母さんは、それを「次の登校につなげなければ」とは考えませんでした。

今は、このつながりをそのまま大切にしよう。

そう思いました。

「最近、学校どんな感じ?」と自分から聞いた

それから数日後。

息子は友達とゲームをしながら通話していました。

部屋から笑い声が聞こえてきます。

しばらくすると、声が少し小さくなりました。

「最近、学校どんな感じ?」

息子の声でした。

お母さんは廊下を通りながら、その言葉を耳にしました。

足を止めそうになりました。

「学校のことを自分から聞いている。」

すぐにでも、

「何を話していたの?」

と聞きたくなりました。

でも、そのまま通り過ぎました。

夜になっても聞きませんでした。

翌日の昼。

息子の方から言いました。

「○○がさ、今学校で文化祭の準備してるって。」

🔴 保護者

「そうなんだ。」

「去年、俺もやった。」

🔴 保護者

「覚えてるよ。」

息子は少し黙りました。

それから、

「今年の文化祭って、外からでも見られるのかな。」

と聞きました。

お母さんの胸が一瞬大きく動きました。

「行きたいの?」

「それなら先生に聞こう。」

「学校へ行くきっかけになるかもしれない。」

いくつもの言葉が頭に浮かびました。

でも、お母さんはすぐには言いませんでした。

少し待ってから、

🔴 保護者

「気になる?」

とだけ聞きました。

「……ちょっと。」

🔴 保護者

「そっか。」

息子はしばらく考えていました。

そして、

「別に教室には行かなくてもいいなら、ちょっと見てみたいかも。」

と、小さな声で言いました。

「行ってみたい」をすぐに大きくしない

🔴 保護者

「そっか。」

お母さんは、それ以上言いませんでした。

本当は聞きたいことがたくさんありました。

「いつ行く?」

「先生に連絡する?」

「友達と一緒に行く?」

「教室にも入ってみる?」

でも、それらを一度に聞けば、「ちょっと見てみたい」という息子の小さな気持ちが、「学校へ行かなければならない」に変わってしまうような気がしました。

しばらくして、息子の方から言いました。

「外から見るだけでもいいのかな。」

🔴 保護者

「どうだろうね。先生に聞いてみることはできるよ。」

「じゃあ聞いて。」

🔴 保護者

「分かった。」

お母さんは、それだけ答えました。

本人が望んだ範囲だけ学校と相談する

翌日、お母さんは学校へ連絡しました。

担任には、

「本人が文化祭を少し見てみたいと言っています。」

と伝えました。

ただし、

「登校のきっかけにしたい。」

とは言いませんでした。

できれば人の少ない時間帯に行けないか。

教室へ入らなくてもいいか。

途中で帰っても大丈夫か。

本人が安心して見られる方法を相談しました。

学校側も、

「無理に教室へ入らなくても大丈夫です。」

「本人が見たいところだけ見て帰って構いません。」

と対応してくれました。

そのことを息子に伝えました。

🔴 保護者

「教室に入らなくてもいいって。途中で帰っても大丈夫だって。」

「ほんと?」

🔴 保護者

「うん。」

「じゃあ……行ってみようかな。」

お母さんは、

「よかった!」

と言いたくなりました。

でも、

🔴 保護者

「分かった。」

とだけ答えました。

前日になって「やっぱり行かない」

ところが、文化祭の前日。

息子の様子が変わりました。

夕食の時もほとんど話しません。

食べ終わると、すぐ部屋へ戻りました。

しばらくして、お母さんが様子を見に行くと、息子が言いました。

「明日、やっぱり行かない。」

🔴 保護者

「そっか。」

「……怒らないの?」

🔴 保護者

「どうして?」

「だって、先生にも連絡したんでしょ。」

🔴 保護者

「したけど、行くかどうかはあなたが決めればいいよ。」

「でも迷惑じゃない?」

🔴 保護者

「行かなかったら、お母さんから連絡しておく。」

息子は黙りました。

以前のお母さんなら、

「ここまで準備したんだから。」

「せっかく行きたいって言ったんでしょう。」

「行くだけ行ってみよう。」

と言っていたかもしれません。

でも今回は言いませんでした。

一度決めたことを変えてもいい

翌朝。

息子は十時頃に起きてきました。

文化祭はすでに始まっています。

お母さんは何も言いませんでした。

朝食を食べている途中、息子が時計を見ました。

「今、何時?」

🔴 保護者

「十時二十分。」

「文化祭、何時まで?」

🔴 保護者

「午後までやってるよ。」

少し間がありました。

「十一時くらいに行ったら、まだ見られる?」

🔴 保護者

「見られると思う。」

「じゃあ……ちょっとだけ行く。」

🔴 保護者

「分かった。」

前日の「行かない」も本人の気持ちです。

当日の「やっぱり行ってみる」も本人の気持ちです。

一度決めたからといって、その決定を最後まで守らなければならないわけではありません。

不登校から動き始める時には、

「行こうと思ったけれど、やっぱり怖い。」

「やめようと思ったけれど、やっぱり行ってみたい。」

という気持ちの揺れが起こることがあります。

大切なのは、その揺れを否定せず、本人がその時の状態に合わせて選び直せることです。

その余地があったからこそ、息子はもう一度、自分で「行く」を選ぶことができました。

学校の前で足が止まる

学校の近くまで車で行きました。

校門が見えてくると、息子の表情が固くなりました。

「ここでちょっと止めて。」

🔴 保護者

「うん。」

お母さんは車を停めました。

校門には、生徒や保護者が出入りしています。

息子は黙って外を見ていました。

五分。

十分。

時間が過ぎました。

お母さんは、

「せっかくここまで来たんだから。」

とは言いませんでした。

しばらくすると息子が言いました。

「やっぱ無理かも。」

🔴 保護者

「分かった。帰る?」

息子はまた黙りました。

「……もうちょっとここにいる。」

🔴 保護者

「いいよ。」

さらに数分が過ぎました。

すると息子が、自分からシートベルトを外しました。

「入口まで行ってみる。」

お母さんは、

「じゃあ中まで行ってみよう。」

とは言いませんでした。

🔴 保護者

「分かった。」

二人で車を降りました。

「校門まで行けた」を次の課題にしない

息子の歩く速度は、とてもゆっくりでした。

途中で何度か立ち止まります。

校門のところまで来ると、学校の中から音楽が聞こえてきました。

生徒たちの声も聞こえます。

息子はしばらく校舎を見ていました。

「ここでいい。」

🔴 保護者

「中には入らない?」

「今日はいい。」

🔴 保護者

「分かった。」

二人は、そのまま車へ戻りました。

文化祭を見ることはできませんでした。

校舎にも入りませんでした。

もし「文化祭へ行く」という結果だけを見れば、

「行けなかった。」

ということになるかもしれません。

しかし、息子は自分で、

「行ってみたい。」

と言いました。

一度は、

「やっぱり行かない。」

と決めました。

そして翌朝、

「やっぱり行ってみる。」

と自分で決め直しました。

学校の前まで来て、

「無理かもしれない。」

と言えました。

それでも少し待って、

「入口まで行ってみる。」

と決めました。

最後には、

「今日はここまで。」

と自分で決めました。

以前なら、学校の話題そのものを避けていた子です。

結果だけでは見えない変化が、そこにはありました。

「せっかく行ったのに」と考えない

帰宅してから、お母さんは少し複雑な気持ちになりました。

「文化祭、見られなかったな。」

そんな残念さがなかったわけではありません。

しかし同時に、

「半年前なら、学校の話をするだけで部屋へ戻っていた。」

と思いました。

今日は、自分から行ってみたいと言った。

途中で怖くなった。

それでも学校の前まで行った。

そして、自分で帰ることを決めた。

それでいい。

夕方。

息子が言いました。

「今日、行った意味なかったかな。」

🔴 保護者

「どうして?」

「中入ってないし。」

お母さんは少し考えてから答えました。

🔴 保護者

「でも、自分で行ってみようって決めたでしょう。」

「うん。」

🔴 保護者

「それで、今日はここまでって自分で決めた。お母さんは、それでいいと思うよ。」

息子は少し黙っていました。

「じゃあ、無駄じゃない?」

🔴 保護者

「無駄じゃないと思う。」

息子は小さく、

「そっか。」

と言いました。

翌日、また部屋から出てこなくなった

ところが翌日。

息子は昼過ぎまで起きてきませんでした。

起きてからも、ほとんど部屋にいました。

友達との連絡もしません。

勉強もしません。

その次の日も同じでした。

お母さんの中に、また不安が戻ってきました。

「学校まで行ったことで疲れてしまったのではないか。」

「せっかく少しずつ変わってきたのに、また元に戻ったのではないか。」

数日後、お母さんは講師に相談しました。

🔴 保護者

「先生、また前みたいになってしまいました。」

🔵 講師

「どのくらい続いていますか。」

🔴 保護者

「二日くらいです。」

🔵 講師

「学校の前まで行った日は、かなり疲れたのかもしれませんね。」

🔴 保護者

「後戻りじゃないんでしょうか。」

🔵 講師

「必ずしもそうとは限りません。大きく動いたあとに、少し休むこともあります。」

🔴 保護者

「せっかく良くなってきたと思ったのに……。」

🔵 講師

「回復って、毎日少しずつ良くなっていくとは限らないんです。」

回復を「毎日右肩上がり」にしない

🔵 講師

「お母さんは、どんな回復をイメージしていましたか。」

🔴 保護者

「少しずつ良くなって、そのまま学校へ戻る感じです。」

「今日は外へ出る。」

「次は学校の前。」

「その次は校舎。」

「それから教室。」

「そんなふうに、一段ずつ進んでいくものだと思っていました。」

🔵 講師

「そうなる子もいるでしょう。でも、実際にはもっと波があります。」

「一歩進む。」

「少し休む。」

「また進む。」

「時には、前より動けない日もある。」

「それでも長い目で見ると、少しずつ変わっていることがあります。」

🔴 保護者

「一日だけ見て判断しない方がいいんですね。」

🔵 講師

「そうですね。」

「今日だけを見ると、何もしていないように見えるかもしれません。」

「でも、三か月前のお子さんと比べたらどうでしょう。」

お母さんは考えました。

🔴 保護者

「全然違います。」

三か月前にはなかったもの

家に帰ったあと、お母さんは息子の変化を思い返してみました。

家族と夕食を食べるようになった。

笑うことが増えた。

一人でコンビニへ行った。

友達へ自分から連絡した。

友達とゲームをしながら話した。

学校の様子を自分から聞いた。

文化祭に興味を持った。

学校の前まで行った。

そして、

「今日はここまで。」

と自分で決めた。

学校への登校日数だけを見れば、まだゼロです。

しかし、

「何も変わっていない。」

とは、もう思えませんでした。

むしろ以前にはできなかったことが、少しずつ増えています。

それは学校への出席表には残りません。

テストの点数にも表れません。

けれど、息子の中では確かに変化が起きていました。

「学校へ行くか」ではなく「今日は何をしたい?」

数日後。

息子はまたリビングへ出てくるようになりました。

🔴 保護者

「今日は何かしたいことある?」

「特にない。」

🔴 保護者

「そっか。」

しばらくすると、

「本屋行きたい。」

と言いました。

🔴 保護者

「いいよ。」

二人で本屋へ行きました。

息子はゲームの攻略本を見たあと、高校受験の参考書が並んでいる棚の前で立ち止まりました。

お母さんは何も言いませんでした。

息子は数学の参考書を一冊手に取りました。

ページを少しめくります。

「これ、分かりやすいかな。」

🔴 保護者

「どうだろうね。中を見て決めたら?」

しばらく読んだあと、息子は参考書を棚へ戻しました。

買いませんでした。

それでもお母さんは、

「せっかくだから買おうよ。」

とは言いませんでした。

興味を持った。

自分から手に取った。

中を読んでみた。

そして今日は買わないと決めた。

それで十分でした。

家庭だけですべてを解決しようとしない

息子が少しずつ動き始める一方で、お母さん自身にも疲れがありました。

「また動けなくなったらどうしよう。」

「高校はどうなるのだろう。」

「勉強は間に合うのだろうか。」

不安がなくなったわけではありません。

そこで、お母さんは一人ですべてを抱え込まないようにしました。

学校との連絡は、必要な範囲で続ける。

学習については家庭教師と相談する。

進路については、本人が考えられる時期になったら一緒に情報を集める。

必要があれば、専門的な相談先の力も借りる。

全部をお母さん一人で解決する必要はありません。

「私が何とかしなければ。」

という気持ちが少し弱くなると、お母さん自身にも余裕が生まれてきました。

親に余裕ができると、会話も変わる

ある日の夕食。

息子が言いました。

「高校ってさ。」

🔴 保護者

「うん。」

「毎日行かなくてもいいところあるんでしょ?」

以前のお母さんなら、すぐにスマートフォンを取り出していたでしょう。

「あるよ。」

「通信制高校なら……。」

「ここなら通えるかも。」

息子が聞いていないことまで、たくさん説明していたかもしれません。

でも今回は、

🔴 保護者

「そういう学校もあるね。」

とだけ答えました。

「どんな感じなの?」

🔴 保護者

「今度、一緒に調べてみる?」

「うん。」

🔴 保護者

「じゃあ、調べたくなった時にやろう。」

息子は少し考えてから、

「明日でもいい。」

と言いました。

「どこへ戻るか」ではなく「どこへ進むか」

翌日。

二人は高校について調べました。

毎日通う学校。

通学日数に幅のある学校。

自宅での学習を中心にできる学校。

さまざまな学び方があります。

息子は画面を見ながら言いました。

「別に、今の中学校に毎日戻れなくても高校行けるの?」

🔴 保護者

「進み方はいろいろあるみたいだね。」

「じゃあ、学校戻らないと全部終わりってわけじゃないんだ。」

その言葉を聞いた時、お母さんは胸が詰まりました。

息子の中では、

「学校へ戻れない。」

ということと、

「自分の未来がなくなる。」

ということが、つながっていたのかもしれません。

🔴 保護者

「終わりじゃないよ。これから一緒に考えればいい。」

息子は画面を見ながら言いました。

「じゃあ、俺でも行けそうなところ探してみる。」

「自分で決めたい」という言葉

それから息子は、少しずつ進路について調べるようになりました。

ある学校のホームページを見て、お母さんが言いました。

🔴 保護者

「ここはどう?」

「そこはあんまり。」

以前のお母さんなら、

「でもここなら通いやすいよ。」

「家からも近いし。」

と説得していたかもしれません。

今は違いました。

🔴 保護者

「どこが合わなそう?」

「人、多そう。」

🔴 保護者

「そうなんだ。じゃあ、もう少し人数の少ないところも探してみようか。」

「うん。」

そしてある日、息子が言いました。

「高校は、自分で決めたい。」

🔴 保護者

「分かった。一緒に調べるけど、最後は自分で決めよう。」

「うん。」

短い会話でした。

しかし、お母さんにとっては、とても大きな言葉でした。

半年前。

息子は将来の話をすると、

「知らない。」

「どうでもいい。」

と言っていました。

その息子が今、

「自分で決めたい。」

と言っています。

回復とは「元の子に戻すこと」ではなかった

数か月前。

お母さんが望んでいたことは一つでした。

「以前のように学校へ行ってほしい。」

朝起きて。

制服を着て。

学校へ行って。

授業を受けて。

友達と過ごして。

夕方帰ってくる。

以前と同じ生活へ戻ってほしい。

それが「回復」だと思っていました。

しかし今は、少し考え方が変わっています。

息子は以前とまったく同じ状態には戻っていません。

学校へ毎日通っているわけでもありません。

生活リズムが完全に整ったわけでもありません。

勉強の遅れがすべてなくなったわけでもありません。

それでも、

自分から人とつながった。

自分から外へ出た。

自分から学校について聞いた。

自分から学校の前まで行った。

無理だと思った時には、

「今日はここまで。」

と言えた。

そして今、自分から進路について調べています。

「自分で決めたい。」

とも言えるようになりました。

お母さんは思いました。

「もしかしたら回復って、元に戻ることじゃないのかもしれない。」

おわりに

不登校からの回復には、決まった形がありません。

学校へ戻る子もいます。

別の学校を選ぶ子もいます。

自宅を中心に学ぶ子もいます。

時間をかけて人との関わりを取り戻していく子もいます。

だからこそ、

「学校へ行ったか、行かなかったか」

だけで、子どもの状態を判断しないことが大切です。

家族と話せるようになった。

笑えるようになった。

自分から外へ出た。

友達に連絡した。

勉強に少し興味を持った。

将来について質問した。

「今日はここまで。」

と言えた。

「これは嫌だ。」

と言えた。

「これをやってみたい。」

と言えた。

そして、

「自分で決めたい。」

と言えた。

それらもすべて、大切な変化です。

不登校から少しずつ動き始めた家庭にあるのは、子どもを一気に変える特別な方法ではありません。

一つできても、すぐ次を求めない。

昨日できたことが今日できなくても責めない。

学校と関係のない普通の会話を大切にする。

本人の小さな「やってみたい」を尊重する。

途中で「やっぱりやめる」と言っても認める。

親だけですべてを抱え込まず、必要な人の力を借りる。

そして、少しずつ子ども自身に選択を返していく。

そうした積み重ねがあります。

親が子どもの人生を代わりに進めることはできません。

しかし、子どもが自分で次の一歩を選べる環境をつくることはできます。

外へ出るかどうか。

誰と話すか。

何を学ぶか。

どんな学校を選ぶか。

今日は進むのか。

今日は休むのか。

そうした選択を少しずつ自分でできるようになっていく。

その過程で、子どもは、

「自分の人生は、自分で動かしていい。」

という感覚を取り戻していきます。

不登校からの回復とは、必ずしも以前の生活をそのまま取り戻すことではありません。

以前と同じ道へ戻らなくてもいい。

違う道を選んでもいい。

立ち止まってもいい。

途中で方向を変えてもいい。

大切なのは、

「もう自分には未来がない。」

と感じていた子どもが、

「これからどうしよう。」

と自分の未来を考えられるようになることです。

そして、

「こうしなければならない。」

ではなく、

「自分はこうしてみたい。」

と言えるようになること。

その力が少しずつ戻ってきた時、子どもは以前と同じ場所へ戻ろうとしているのではありません。

自分に合った学び方、自分に合った人との関わり方、そして自分に合った未来への進み方を探しながら、自分自身の道を歩き始めているのです。

理論編はこちらから

⑰ 不登校から回復した家庭に共通すること(理論編)

はじめに 子どもの不登校が長くなると、保護者はふと考えることがあります。 「この状態から、本当に変わる日が来るのだろうか。」 最初は数日の欠席だった。 それが一週間になり、一か月になった。 生活リズムも崩れてきた。 勉強 […]

学校に行けないお子さんのための家庭教師

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