⑧ 不登校は「休む勇気」が必要な場合もある(理論編)
はじめに
「学校を休ませてしまって、本当にいいのでしょうか。」
不登校の相談を受けていると、保護者からこの言葉を聞くことがあります。
学校を休ませれば、そのまま行けなくなってしまうのではないか。
勉強が遅れてしまうのではないか。
生活リズムが崩れてしまうのではないか。
将来に影響するのではないか。
そう考えると、保護者としては簡単に「休んでいいよ」と言えないこともあるでしょう。
子ども自身も同じです。
「みんなは学校へ行っている。」
「自分だけ休んではいけない。」
「もっと頑張らなければ。」
そう思いながら、限界まで無理を続けてしまう子どももいます。
しかし、心や体が疲れ切っている時には、さらに頑張ることよりも、いったん立ち止まることが必要な場合があります。
不登校の子どもにとって、「休む」ということは必ずしも逃げることではありません。
もう一度動き出すために、心と体を立て直す時間になることもあるのです。
「休む=悪いこと」という思い込み
私たちは小さい頃から、
「学校は休まず行くもの。」
「つらくても頑張ることが大切。」
「途中で諦めてはいけない。」
と教えられることがあります。
もちろん、努力や継続は大切です。
少し嫌なことがあったからすぐに諦めるのではなく、乗り越える経験が子どもの成長につながることもあります。
しかし、ここで大切なのは、
「頑張れば乗り越えられる状態」と「頑張ることでさらに消耗してしまう状態」は違う
ということです。
心と体にまだ余裕がある時には、少し頑張ることで前へ進めることがあります。
ところが、すでに限界に近づいている状態では、さらに頑張ることで心身の負担が大きくなってしまう場合があります。
その時に必要なのは、「もっと頑張ること」ではなく、「いったん休むこと」かもしれません。
真面目な子ほど休むことが難しい
ここまでの記事でも触れてきたように、不登校になる子どもの中には、真面目で責任感の強い子がいます。
そうした子ほど、休むことに罪悪感を持ちやすい傾向があります。
「学校を休んだら先生に迷惑をかける。」
「友達は頑張っている。」
「親を心配させたくない。」
「自分だけ楽をしてはいけない。」
そのため、朝から体調が悪くても学校へ行こうとすることがあります。
前日の夜から不安でいっぱいでも、
「明日は絶対に行く。」
と自分に言い聞かせることもあります。
そして翌朝、どうしても体が動かなくなる。
すると今度は、
「また行けなかった。」
「自分は弱い。」
「自分はダメだ。」
と自分自身を責めます。
つまり、
頑張る → 限界になる → 行けなくなる → 自分を責める → さらに心が疲れる
という循環が生まれてしまうことがあるのです。
体を休めても、心が休んでいないことがある
学校を休んで家にいるからといって、必ずしも子どもが休めているとは限りません。
布団の中で、
「今ごろ一時間目だ。」
「友達は授業を受けている。」
「今日も学校へ行けなかった。」
「明日は絶対に行かなきゃ。」
と考え続けていることがあります。
これでは、体は家にいても心は学校に縛られたままです。
さらに保護者から、
「明日は行けそう?」
「宿題くらいはやろう。」
「いつまで休むの?」
と何度も聞かれると、家にいても緊張が続いてしまうことがあります。
本当の意味で休むためには、
「今日は休んでもいい。」
「今すぐ答えを出さなくてもいい。」
と思える安心感が必要です。
休むというのは、単に学校へ行かないことではありません。
心と体の緊張を少しずつ下げていくことでもあるのです。
「休ませたら、そのまま行かなくなるのでは?」という不安
保護者が特に心配するのが、
「一度休むことを認めたら、そのままずっと学校へ行かなくなるのではないか。」
ということです。
その不安から、
「今日だけは行ってみよう。」
「一時間だけでもいいから。」
「保健室まで行こう。」
と、何とか学校とのつながりを維持しようとすることがあります。
もちろん、その方法が合っている子どももいます。
しかし、すでに心身が強く疲れている場合には、「学校へ行かなければならない」という圧力そのものが負担になっていることがあります。
そのような時には、まず負担を減らし、安心できる状態を取り戻すことを優先した方がよい場合があります。
重要なのは、
「休ませるか、学校へ行かせるか」という二択だけで考えないことです。
子どもの状態を見ながら、その時に必要な支え方を考えていくことが大切です。
休むことは「何もしないこと」ではない
休養というと、
「一日中寝ている。」
「何もせず過ごす。」
というイメージを持つかもしれません。
しかし、回復のための時間にはさまざまな形があります。
ゆっくり眠る。
好きな音楽を聴く。
家族と食事をする。
ゲームをする。
本を読む。
絵を描く。
散歩をする。
好きなことについて調べる。
家族と何気ない話をする。
一見すると「勉強でも学校でもない時間」ですが、心が疲れている子どもにとっては、こうした時間が安心感を取り戻すきっかけになることがあります。
「今日は何もできなかった。」
ではありません。
心を回復させるために必要な時間を過ごしている。
そう考える視点も必要なのです。
ゲームをしているなら元気なのでは?
ここで保護者が疑問に感じることがあります。
「学校へ行く元気はないのに、ゲームは何時間もできるんです。」
「動画は見られるのに、どうして勉強はできないのでしょうか。」
確かに、その姿だけを見ると、
「本当は元気なのでは?」
と思ってしまうことがあります。
しかし、活動によって必要な心のエネルギーは違います。
学校には、
時間どおりに起きる。
身支度をする。
人と会う。
授業を受ける。
周囲に合わせる。
先生や友達との関係を考える。
といった多くの負荷があります。
一方、自宅で好きなゲームや動画を見る場合には、自分のペースで始めたりやめたりできます。
そのため、
「ゲームができる=学校へ行けるだけのエネルギーがある」
とは限りません。
ただし、生活全体が大きく崩れていたり、本人や家族が困っていたりする場合には、ゲームだけを問題にするのではなく、生活全体の状態を見ながら支援を考えることが必要です。
「休んだ後」を急いで決めなくてもいい
保護者は、休ませるとすぐに次のことを考えたくなります。
「いつ学校へ戻すか。」
「勉強はいつ再開するか。」
「高校はどうするか。」
「この先どうなるのか。」
将来を考えれば、当然の不安です。
しかし、心が疲れ切っている子どもにとって、何か月も先のことを考えること自体が負担になる場合があります。
そんな時は、
「来月どうするか」
より、
「今日どう過ごすか」
から考えても構いません。
今日は少し眠れた。
今日は一緒に食事ができた。
今日は昨日より会話が増えた。
今日は少し外の空気を吸えた。
そうした小さな変化を見ながら、次の一歩を考えていきます。
回復を急いで大きな計画に当てはめるのではなく、今の状態から次にできそうなことを探すという考え方が大切です。
休むことで初めて気づけることもある
学校へ通っている間は、毎日の予定に追われています。
朝起きる。
学校へ行く。
授業を受ける。
部活動をする。
宿題をする。
寝る。
その繰り返しの中では、
「自分は本当は何がつらかったのか。」
「何を頑張り過ぎていたのか。」
「何が好きなのか。」
「これからどうしたいのか。」
をゆっくり考える時間がないこともあります。
いったん立ち止まることで、初めて自分自身と向き合える場合があります。
「あの人間関係が苦しかった。」
「勉強についていけないことを誰にも言えなかった。」
「ずっと周りに合わせていた。」
「本当は別のことをやってみたかった。」
こうした気持ちは、安心できる時間の中で少しずつ言葉になることがあります。
休む時間は、単なる空白ではありません。
自分自身を取り戻すための時間になることもあるのです。
休むことと、放っておくことは違う
ここは特に大切です。
「休ませる」ということは、「何もしなくていいから放っておく」という意味ではありません。
子どもの状態を見守りながら、
食事は取れているか。
睡眠はどうか。
会話はできているか。
本人が困っていることはないか。
外部の支援が必要ではないか。
といったことを確認していく必要があります。
必要に応じて、学校や教育相談などの専門的な支援につなげることも大切です。
また、体調不良が続いている場合には、「不登校だから」と決めつけず、適切な医療機関に相談することも必要になります。
休ませることと孤立させることは、まったく違います。
安心して休める環境をつくりながら、必要なつながりは残しておく。
このバランスが重要なのです。
「休む勇気」は保護者にも必要
実は、休む勇気が必要なのは子どもだけではありません。
保護者にも必要です。
周囲から、
「学校はどうするの?」
「いつまで休ませるの?」
「少しくらい無理にでも行かせた方がいいんじゃない?」
と言われることがあります。
そのたびに、
「このままでいいのだろうか。」
と不安になるでしょう。
しかし、目の前の子どもの状態を一番近くで見ているのは家族です。
今は頑張らせる時なのか。
それとも、一度立ち止まる時なのか。
その判断を、世間の「普通」だけに合わせる必要はありません。
「今はこの子に休む時間が必要かもしれない。」
そう考えることも、子どもを支える一つの選択です。
回復とは「元の状態に戻すこと」だけではない
不登校からの回復というと、
「以前のように毎日学校へ行けるようになること」
を想像するかもしれません。
しかし、本当の意味での回復は、それだけではありません。
自分の苦しさに気づける。
「疲れた」と言える。
困った時に助けを求められる。
無理をしている時に立ち止まれる。
自分に合った学び方を考えられる。
こうした力を身につけることも、その子がこれから長い人生を生きていくうえで大切な成長です。
限界まで頑張って倒れてしまうのではなく、
「今は少し休んだ方がいい。」
と自分で判断できる。
それは決して弱さではありません。
自分自身を守るための力でもあるのです。
まとめ
不登校になった時、
「休んでいい。」
と言うことには勇気が必要です。
子どもにも、保護者にも、
「このまま遅れてしまうのではないか。」
「戻れなくなるのではないか。」
という不安があるからです。
しかし、心や体が限界に近づいている時には、さらに頑張らせることより、いったん立ち止まることが必要な場合があります。
休むことは、人生を諦めることではありません。
学校を諦めることでもありません。
まして、将来を諦めることでもありません。
もう一度自分の力で歩き始めるために、心と体のエネルギーを取り戻す時間になることがあります。
そして大切なのは、「何日休めば回復する」という一つの正解を求めないことです。
子どもの状態は一人ひとり違います。
昨日できなかったことが今日できることもあれば、一度動き出してから、また休みたくなることもあります。
その一つひとつを「後退」と決めつける必要はありません。
立ち止まる。
少し進む。
また休む。
そして、もう一度進む。
そうした時間も含めて、その子自身の歩みです。
「休む勇気」を持つことは、前へ進むことをやめることではありません。
これから先も歩き続けるために、今は立ち止まる。
そんな選択が必要な時もあるのです。
実際の例はこちらから
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